知命
他のひとがやってきて
この小包の紐 どうしたら
ほどけるかしらと言う
他のひとがやってきては
こんがらがった糸の束
なんとかしてよ と言う
鋏(はさみ)で切れいと進言するが
肯(がえん)じない
仕方なく手伝う もそもそと
生きているよしみに
こういうのが生きているってことの
おおよそか それにしてもあんまりな
まきこまれ
ふりまわされ
くたびれはてて
ある日 卒然と悟らされる
もしかしたら たぶんそう
沢山のやさしい手が 添えられたのだ
一人で処理してきたと思っている
わたくしの幾つかの結節点にも
今日までそれと気がつかせぬほどのさりげなさで
『孔子曰く、五十にして天命を知る』というが、今と過去ではあらゆる尺度も環境も異なる。しかし、ある一定の人々はみずからか他人からか、枷を一身に引き受けその身を酷使する。その様子といったら、(※)怒りながら悲しんでいるような、戸惑いながら決意しているような、突き放しながらしがみついているような。拒みながら待っているような、謝りながら責めているような、途方に暮れながら主張しているような。けれども、人は皆、やわらかいいのちを持っている。故に、愛される。愛されることから逃れられない。かような愛が、たくさんのやさしい手なのかもしれない。そこに幾ばくのとげが待っていようとも。
この世はかくも儚きものなり。太陽が照らさぬ地は真っ暗な闇ばかり。されども、そこに一輪の花が咲き一隅を照らす。日々生きる中で無理は禁物だが、人皆一隅たれば、そこに目を見やるものたちを顧みるのもどうだろう。
※「やわらかいいのち」(谷川俊太郎)より