言葉やら人やら私について

歴史と言葉と音楽を愛する学生が、その時々で感じたことや学んだことを忘備録的に書き留めていくブログです。テーマは散文的でありますが、一つの記事できちんと完結するよう心掛けます。

中国近代郵政を担った男


    華夷思想。それは周王朝発祥の黄河中域部から拡大された中原、すなわち中華を治める中国の論理であった。世界を我々と我々以外、「華」と「夷」に分け前者の威光を知らしめることでその文化を波及させるというコスモロジカル的価値観は、この東アジア世界を覆っていたことは言うに及ばず、時に南アジア、中東、そしてアフリカにさえ及んでいた。そのような「華」の絶大な影響力がモノを言う世界で、一人中国を大きく変えた男がいた。彼の名はロバート・ハート。中国税関史上、最も大きな影響力を及ぼし中国近代郵政の祖ともいえる男。

 

    ロバート・ハートは清朝末期唯一の外国人官僚であり、清朝税関における総税務司であった。1835年にアイルランドのアルスターで生まれ、1853年にクイーンズカレッジを卒業、翌年1854年に香港に到り、中国語を習得した後広州領事館で連合軍軍政庁書記官としてキャリアを始める。以降順調に昇進し1863年には清朝税関の総税務司に就任する。清朝皇室の恭親王と親しい間柄となり、清朝の税関制度の変革に生涯を捧げた。また同時に郵政改革にも取り組み、現代の中国税関及び郵政の礎を築き上げた。これ故、ハートは中国近代化に多大な貢献をしたと言われる。

 

    では、彼が実際に行った改革というと、それは近代資本システムを中国封建的システムに代わり税関・郵政に導入したことである。従来の中国式では、働き手に対する厳密な昇給制度や福利制度などほぼ皆無であり、実際に職務放棄する者も少なからずいたという。ハートはここに西洋式の人事管理方法と綿密な人事規律を取り込み、近代人事管理体制を中国にもたらした。この作用は管理体制の健全化以外にも経済的な財源の節約にもなり清朝の収入源の多くは税関からもたらされた。また、当時の郵政は制度は公務と民間でそれぞれ分かれており、その郵便ネットワークも様々であった。ハートはその様々な郵政網を清朝管理の下一つに束ねあげ、同時に各列強が運営していた郵政事業を撤退させていったのだ。

 

    ハートによって清朝税関システム、郵政制度は近代化へと舵を切った。しかし、ハートは清朝の官僚で在りながら英国に属していたことは言うまでもない。あくまでも中国清朝に食い込む一列強の人材として中原に至ったハートは、ともすると、諸改革の動機が英国に貢献するためというのは決して否定できないだろう。実際他国から奪取した諸利潤の多くは清朝にではなく英国の懐に入るようになっていた。そういう意味ではハートはあくまで英国に与していたことは自明である。ハートへの評価はこの2点に集約されている、すなわち清朝の偉大な友人であったのか、あるいは、清朝を食い物にする帝国主義者であったのか。その結論は諸研究者によって異なるだろうが、私自身はそれよりも祖国を離れ、一人異郷中原を駆け抜けた男の物語の地平は今なお拡がりを続けていることに浪漫を感じたい。